「他人に興味がない人」を考える
「あの人は他人に興味がない」というと、批判的に聞こえるのはなぜだろうか。
例えば、「あなたって他人に興味がないよね」と言われると、なんだか責められているような気持ちにならないだろうか。思わず「そんなことないですよ!」と、あくせくしながら否定したくなる。
これは、「人は、他人に関心を持ちましょう」という、不文律というか、みんなの暗黙の了解があるようにも思う。
しかしはっきり言おう、他人に興味のない人間は一定数いる。しかもそれは生まれつきで、本人の責任ではない。そして、他人に興味のない人間も、十分に他人とうまくかかわり合いながら生きていける、はずである。
最後言い切れなかったのは、まだやりきってないから何とも言い切れず弱気になってしまったからである。
私の夫レイさんは、他人に全く興味がない。
他人どころか、おそらく自分にも興味がない。
何だったら動物にも興味がないし、植物にも食べ物にも興味がない。
ということで私の中では、レイさんは有機物(炭素由来のもの)に興味がない、ということで結論が出ている。
ところで、全世界に是非伝えたいことがある。それは「私は他人に興味ない」は、多少なりとも他人に興味がある人の台詞だということである。
例えば、「私はシュレーディンガーの波動方程式に興味ない」と言っている人はどんな人だと思いますか?絶対、物理学に興味ある人ですよね。
「私は他人に興味ない」は、「他の人は他人に興味がある」と思ってるからこそ出る言葉で、その想定こそが他人に興味がある証拠なのです。真に他人に興味のない人の反応はこのようになります。(聞くときは批判的な質問にならないよう注意しましょう)
「レイさんて他人の気持ちが気になったり、他人の考えに興味が湧いたりすることってある?」
「へ?・・・・・・・・・・・・・・・・・どういうこと??」
そんなこと、想像もつかなかった!というリアクションです。
最強ですね。つっよ。